昭和初期に入ると、住宅も機能主義の影響が強くなってきます。
近代合理主義のデザイン思想が導入されることになり、日本の建築業界も影響を受けました。
これまでの伝統的な和風建築スタイルは一変し、機能と動線によって構成されるようになりました。
欧米型のスタイルといっても、「居間」を中心とする平面図の考えは、和風建築の「茶の間」や「囲炉裏」の考え方、家庭の団らんを重視する考え方と通ずるところがありました。
居間中心の考え方は、明治以降の社会的背景より生まれた考えで、大正期には成立、昭和には中流住宅の基本的な考えとして定着しました。
復興住宅から現代までの移り変わり
日本は終戦をむかえ、都市の深刻な住宅不足を補うため、国内の住宅建設の動きが政府主導で始まりました。
当時は「バラック住宅」と呼ばれていたようです。
住宅の居住性や耐久性を高めるために、住宅金融公庫を発足させ木造住宅建設基準を設定し、復興住宅を推進していき、建設費・土地代の融資を行い、住宅の建設を軌道にのせました。
しかし、当時の住宅レベルは極めて不十分で、平均的間取りは、2つの居室にキッチンとトイレといった空間が主流でした。
また、戦後に流入したアメリカ文化が、クラブハイツや合同マーケットなどニュータウンの感覚を日本に持ち込み、2x4住宅もこの頃日本に多く伝わってきたといわれています。
特需景気
新たな産業設備の近代化や建築ブーム・団地の政策により建設産業の発展に拍車をかけて、高度成長期を迎えます。
建築ブームは技術と共に発展していき、新しい時代の要求に応じ建材発展への足がかりとなりました。海外からの技術導入や開発研究も積極的に進められました。
建設業は国や都市を作るという使命や役割を担っており、その特徴が3つのポイントになっています。
(1)建築工事費節約に寄与し得るか
(2)生活環境を構成するに適しているか
(3)防火性があるか
建築の防火は、明治時代から大火に学ぶかたちで重要な位置を占めていました。
木造からレンガ造、そして鉄筋コンクリート造へと都市の不燃化・耐震に重点をおいた方針のもと、建築法も年代ごとに改正され、より強固な住宅がもとめられるようになりました。
建物の規模が巨大化する状況を受け、建築工費の節減や生産性の向上については、専門職の大工の位置づけが大きいです。
しかし近年は、住宅や建物のパーツ化により、生産体制を総合的に統括しマネジメントするように変化してきています。
現場の体制も変化しています。
発注・生産・価格を調整、個々の建築材料を可能な限り工場で加工、現場で組み立てる作業…資材管理と施工を分けて時間の短縮をはかり、ネットワークの管理体制に変わっていきました。
そんな世の中だからこそ、大工の腕で住宅の価値が変わると思います。
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